戦後、新宗教(一般的に幕末~明治以降、現在までに創設されたもの)が勢力を伸ばした背景には、既存の伝統仏教が人々の「救い」になりえなかったという指摘がある。江戸時代に定められた檀家制度を踏襲し、さらには寺院を世襲運営している日本仏教の現状は、世界から見ても特殊だ。改革の必要はないのか。社会学者の橋爪大三郎氏に聞いた。
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現在の「葬式仏教」をやめて、本来の仏教を日本に復興するには、いまの仏教界をスクラップにする、リセットボタンを押さなければならないのでしょうか。
世襲の寺院はつぶして、葬式もやらない。しかしこれでは、新しい仏教がかわりに生まれて来る保証がない。
仏教寺院は現に、日本の葬儀の大部分を担っています。それなりに社会的サービスを果たしている。また貴重な文化財を多く保存してもいる。それを、有無を言わさずリセットするのは、非現実的です。ではどうすればいいのか。
仏教再生の方向をみつけるためには、仏教の根本に戻る以外に、道は見えないと思います。そういう努力がまだまだ足りない。もっとアイデアを出し、議論することが必要です。
たとえば最近、「寺を開こう」というスローガンを掲げ、活動している僧侶たちがいます。お寺を親しみやすい場所に変えようと、境内で各種のイベントを催すなどしたり、手さぐりで運動している。よいことです。
ただ私は、その前に、「寺とはなにか」を突き詰めて考えてもらいたい。寺は教会でも、モスクでもありません。
寺がなければいけないと、経典のどこにも書いてない。寺は仏教の本質と、関係ないのではないか。そこまでさかのぼらないと、人々の深いところに届く運動にならないと思います。
仏教の本質に関係ないことに、価値を認めないようにすべきです。
葬儀はやってもいいが、仏教の本質と関係ない。戒名は、ますます関係ないから、そのことをはっきりさせる。法を説く、という釈尊の活動に立ち帰って、仏教の活動を再組織していく。瞑想や念仏、座禅は、いつどこででもできます。
仏教に関係ないことを削ぎ落とし、もっとも大事なことがらにふさわしい器を造る。仏教再生は、ここから始まるしかないと思うのです。
●取材・構成/小川寛大
※SAPIO2015年1月号