――本書にもたびたび出てくるように、ブラジルW杯では「自分たちのサッカー」が一つのキーワードになっていたように感じます。矢野さんはどう感じていらっしゃいましたか。
矢野:「自分たちのサッカー」って何なの? 本当にあるの? と思われていた方は多いかもしれません。ひと言で説明するのは難しいんです。4年という歳月をかけて作り上げ、根付かせてきたものですから。でも、この本を読んでいただけたら、それが何なのか、明確になると思います。そして、選手たちの間に、確かに浸透していたことを理解いただけると思います。
ザッケローニ監督の考えによれば、「自分たちのサッカー」をするのは、「祈るよりも勝つ可能性を高めるため」です。引いて守るよりも、積極的に仕掛けるサッカーをするほうが勝つ可能性が高まるから、選択したのです。つまり「自分たちのサッカー」と「勝ち」は、あのチームにとっては両立するものでした。
――良いチームであったことを知れば知るほど、W杯の結果に胸が詰まります。この4年間を踏まえて、これからの日本代表に必要なものは何だとお考えですか。
矢野:ザッケローニさんは「歴史が足りなかった」と言われました。たとえばイタリアにはW杯の優勝経験があるから、次も優勝できると選手も国民も腹の底から思って、試合に臨んでいる。成功体験が多いほど、より自信をもって臨めるのです。日本のサッカー文化はまだ20年足らずで、100年の文化がある国との数字上の差というのは、永遠に埋まらない。だからこそ、意図的に成功体験を積み上げていくことが必要だと思います。
――最後に、代表監督という仕事を4年間見続けてきた矢野さんが、いま、リーダーに必要だと思う資質を教えてください。
矢野:ぼくの考えでは二つあります。一つはメンバー全員を見てあげること。もう一つは、自分を前に進めるエネルギーだけではなくて、チーム全体を前に進めるエネルギーを持っていることですね。そういう意味でリーダーは熱力が多く、ポジティブでなければいけない。ザッケローニさんは家族と散歩することで、エネルギーを蓄えていました。そして「晴れている日は上を向いて歩くんだ」と言いました。ぼくはいま、大好きなサッカーをして、エネルギーを蓄えています。
■矢野大輔(やの・だいすけ)/1980年7月19日、東京都生まれ。セリエAでプレーするという夢を抱き、15歳でイタリアに渡りトリノの下部組織でプレー。22歳でトリノのスポーツマネジメント会社に就職。デル・ピエロを始めとするトップアスリートのマネジメントや企業の商談通訳やコーディネイトに従事する。2006年から2008年にトリノに所属した大黒将志の通訳となる。2010年9月、ザッケローニ日本代表監督就任に伴いチーム通訳に。ブラジルW杯終了後、監督の退任とともに代表チームを離れた。1月13日に新刊『部下にはレアルに行けると説け!!』双葉社)が発売。