世界を代表する大富豪デュポン家の御曹司が、アメリカのレスリングの金メダリストを銃で殺した。自分が庇護しているレスラーの兄だった。なぜそんなことしたのか。
一九九六年に実際に起きた事件をもとにしている。監督は「カポーティ」(2005年)のベネット・ミラー。作家カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)が、現実に起きた殺人事件(二人の貧しい若者が、縁のない一家四人を惨殺した)を取材してゆく姿を描いた。今度は、大富豪が金メダリストを殺すというスキャンダラスな事件に取組んだ。
アマチュアのレスリングはスポーツのなかでもマイナー。人気はない。マーク・シュルツ(チャニング・テイタム)は一九八四年のロサンゼルス・オリンピックで金メダルをとったにもかかわらず、その後、恵れない暮らしをしている。独身。安アパートで暮している。友人はほとんどいない。やはりレスリングで金メダルをとった兄のデイヴ(マーク・ラファロ)だけを頼りにしている。
そんなマークに思いがけない、いい話が舞い込む。世界的な化学工業会社デュポンの御曹司ジョン(スティーヴ・カレル)がマークを援助したいと申し出る。この大金持はレスリングの大ファンだった。
二人のあいだに奇妙な友情が生まれてゆく。この映画の面白さはジョンのキャラクターにある。マークと同じようにジョンもまた孤独。大金持という特異性のために友人がいない。子供の頃、友人が出来たが、それは両親が金を払って雇った子供だった。以来、ジョンは自分だけの世界にひきこもった。大金持のジョンと、金メダリストでありながら不遇なマークが孤独という共通項で結ばれてゆく。
しかし、はじめから二人は住む世界が違う。うまくゆく筈がない。マークはジョンがうっとおしくなり、元のように兄に頼ろうとする。ジョンはマークが自分から離れてゆくのを知って次第に精神がおかしくなる。そしてついに殺人が起きる。
なぜジョンはデイヴを殺したのか。この映画は単純に答を出していない。ジョンはほとんど感情を見せない。何を考えているのか分からない。そこが怖い。殺人に合理的な理由はない。人間の心の謎は誰にも解明出来ない。
ジョンは逮捕され、獄中で死んだという。自分でもなぜ人を殺したのか分からなかったかもしれない。
文■川本三郎
※SAPIO2015年3月号