ラグビーW杯がいよいよ9月18日に開幕を迎える。かつては国立競技場を満員の観客で埋め尽くしたラグビーだが、その後日本代表の不振とともに人気も低下した経緯がある。かつて世界を沸かせたラグビー日本代表は、なぜ世界から取り残されてしまったのか? ラグビージャーナリストで『J SPORTS』解説者の小林深緑郎氏が解説する。
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かつて日本ラグビーには「栄光の時代」があった。約半世紀前の1968年に、日本代表がニュージーランドのオールブラックス・ジュニア(23歳以下の代表)に勝利したこと。あるいは、1989年にスコットランド代表を破ったこと。1970年代から1980年代にかけて、日本のラグビー人気は頂点に達していたのだった。
しかし、1990年代に入ると潮目が変わった。ラグビー人気の凋落は、日本代表の不振と軌を一にしている。日本ラグビーが低迷期に入った最大の要因は、90年代中盤から、世界において「ラグビーのプロ化」が始まったことに求められるだろう。
世界のラグビーがアマチュア主流だった頃、日本のラグビーが奮迅の活躍を見せられたのは、世界のラグビーの「スタイル」が現在のスタイルとは異なっていたからだ。当時のラグビーはフォワードとバックス(以下、FWとBK)の役割がはっきりと分離されていた。
スクラムを組み、モールで押し込み、巨体を揺らしてじりじりと動くのがFW。身体は小さいが素早く動き、相手ディフェンスの隙間をすり抜けるのがBK。この時流の中で、総じて身体の小さいFWを、まるでBKのように動かし、敏捷性を活かして世界を沸かせたのが日本代表だった。
ところが、世界のラグビーの主流が「プロ・リーグ」になると、状況は一変した。試合のスタイルが変わるより先に、まず進化したのは「選手の身体」である。日々の仕事の合間に練習するのではなく、練習そのものが仕事になったため──この点は、ラグビー以外のプロ・スポーツでも顕著だが──急速にフィジカルが強化された。
その効果で、大きいがスピードに欠けていたFW選手の動きが鋭くなり、素早くても小柄で当たりの弱かったBKが強靭さを手に入れた。つまり、世界のラグビーは「大きくても速いFW」と「小さくても強いBK」を手に入れたのである。その変化は、1990年代はじめの「日本代表」の腿よりも、現在の「高校ラグビーの選手」の腿の方が太いという身近な事実に表われている。
こうして、世界のラグビーからは、かつてのような「FWとBKの役割分担」が消滅し、現在では「1~15の背番号を付けたすべての選手」が、状況に応じてあらゆるポジションの役割を担えることが基本になっている。そして、この「進化」によって、敏捷性を売り物にしていた日本代表の世界におけるポジションは低下してしまった。
※週刊ポスト2015年9月18日号