特に団長・富田に寄せる蒋の信頼は尋常ではなかった。
〈富田の講義が蒋介石に深い影響を与えていたことが、一九五〇年の日記の記述から読み取ることができる。(中略)
白鴻亮(編註・富田のこと)総教官が武士道について講義したことは、学生たちにとって暗闇の世界における光のようなもので、慰めとなった。
(中略)そんななか、富田は、しだいに蒋介石にとって「軍師」のような存在になっていった。(中略)若い軍官たちの前で、富田を手放しで賞賛することもあった〉
そして彼の教育の効果を評価し増員を要請、開校翌年には76名の日本人教官が在籍するまでになった。
1969年の解散までに白団の教育を受けた者は2万人にも達し、総勢83名の日本人が台湾に渡り協力したという。その活動の全ては非公式・秘密裡に行われ、彼らの存在が明るみに出たのは1987年で、結成から約40年も後のことだった。白団はまさに名誉を度外視した献身であり、台湾国防部は「その功績は永遠に消えないであろう」と讃えている。
こうした先人たちの活動が、今の日台友好の絆の礎になっている。
※SAPIO2015年10月号