頻度は少しずつ減ったものの発作は繰り返された。tomoさんは、発作が起きても冷静に対処できるよう、酸素ボンベを常備し、発作を予防するため、温度管理を徹底し、冬も暖房はつけっぱなし。薬をあげる時間がバラバラにならないよう、夜に予定がある時は夕方に一度家に帰って薬をあげた。
寂しかったり、うれしかったり、興奮することで発作が起きてしまうため、お風呂に入っている間も姿が見えるようにドアは開けっ放しにして、ウンチをした後のダッシュを防ぐためにすぐに落ち着かせた。寝ている間に発作を起こしていないか心配で夜中に何度も目が覚めたり、朝起きるとすぐにこむぎの鼓動を確認するなど不安な日々が続いた。
そして、医師に宣告された「余命半年」にあたる2012年冬に、こむぎは再び大きな発作に襲われた。
「ぎゃお! ぎゃお!」と鳴き叫びながら、口からは泡のようなよだれをいっぱい垂らしてバタバタと苦しむこむぎ。目はカッと大きく見開き、まばたきもしない。心臓は、このまま飛び出してくるのではないかと思うほど、バクバクと強くなっていた。
「正直、“もうダメかもしれない…”と思ったんです。でも、そんな弱音を吐いている私よりも、こむぎは強かった。血液の濃度を薄める処置にも耐え、発作にも耐え、冬を越してくれたんです」
それは奇跡だった。薬なくしては生きられない小さな体で、こむぎはどんな大きな発作にも負けることなく必死に生きようともがいているのだ。
しかし一方で、それは決してきれい事ばかりではない。tomoさんの生活はこれまで通りとはいかない。のまなくてはいけない薬の量は増え、月の薬代や病院代は3万5000~4万円ほど。気温の変化によっても体調が変わるなど、tomoさんは片時もこむぎから注意をそらさない。
茶屋ヶ坂動物病院の金本勇先生が話す。
「動物は言葉が話せませんから、先回りして環境を整えてあげなくてはいけません。先天性の病気を持った動物と一緒に暮らすというのはそれほど大変なこと。こむぎちゃんの飼い主さんは、そうした覚悟を決めて一緒に生きていこうと決めたのでしょう」
余命宣告をされたとき、tomoさんは、つらい思いをインスタグラムに投稿した。こむぎにエールを送る人は次第に増え続け、今や30万人近くの人が見守っている。
※女性セブン2015年10月22・25日号