◆兄弟分のような気持ち
それから4か月後の6月22日、日韓基本条約は締結される。だが、調印当日の朝まで東京に滞在していた韓国側代表と外務省の間で、揉めに揉めた。特に竹島問題で、互いの主張は平行線を辿る。
外務省の後宮虎郎アジア局長は、椎名に助けを請うた。すると椎名は言った (「世界週報」1979年11月6日号)。
「解決の目処と言っても直ぐ竹島が返ってくるわけではなかろう。条文上はしかるべくなにか二、三行書いておきたまえ。国会答弁は私が引き受ける」
事実上、竹島問題は棚上げされた。 このように高度な政治判断によって締結が最優先された日韓基本条約は玉虫色の表現が多い。その余白が現在も紛争の種になっている。しかし、それをもって同条約を批判すると問題の本質を見誤る。
日韓国交正常化交渉の内幕に迫った『竹島密約』でアジア・太平洋賞を受賞したロー・ダニエル氏は、合理性を追求する欧米の国際政治と異なった日韓外交の特異性をこう綴る。
〈自民党と韓国の共和党の長期執権のなかで、この浪花節的な文化関係はつづいたと見ていい。双方の為政者たちは互いに兄弟分のような気持ちをもっていた〉
椎名だけでなく、“党人派”の大野伴睦や元首相の岸信介など韓国とのチャンネルを持つ政治家は多かった。両国で同じ空気を共有してはじめて、落としどころが議論される。それが当時の外交だった。
あれから50年。日韓外交の危機的状況は、過去の妥協が顕在化したと言っていいのだろうか。むしろ、先人の知恵を受け継げなかった両国の外交官や政治家の資質を問うべき話なのではないか。
※SAPIO2015年12月号