◆あれは明治人の気質だろう
訪韓はたった4日間。外交交渉は深夜にまで及んだ。
こんなことがあった。李に案内され料亭に行くと、韓国軍の陸海空将官クラスが宴を催していた。彼らは口角泡を飛ばし、韓国語で何かを議論している。すごい迫力だ。
朴大統領による作戦だった。将官たちを動員して重圧を与えようとしたのだ。しかし、当の椎名は、持参したブランデーをちびちびやりながら、「彼らは何を話しているのかね」と素知らぬ顔である。
李と椎名は毎晩、杯を重ねる。竹島の領有を示す根拠があるのか、と椎名が問う。李は「では対馬は? 対馬が韓国のものという歴史的根拠を我々は持っている」と返す。
国家の溝は埋まらない。ただし、椎名と李の両者の心の距離は近づいていった。
前述の三回忌スピーチで李は、「私は日本語が少しできるので会談は全て日本語で行いました」と明かしている。
当時、韓国の閣僚は、日本の大学卒が多かった。日本語はできる。が、発音を気にして日本人の前では使わない。 李は、「私の日本語も下手だったけれど、椎名先生の日本語もおかしかったからよく通じたのでしょう」と笑った。
帰国前夜、椎名にはもう後がなかった。李との会談で「基本条約を仮調印する権限が私にはある。決断してほしい」と迫る。李は、朴正煕大統領でないと応えられない、大統領はいま軍艦視察中だ、と逃げる。椎名は、引かなかった。
「軍艦なら無線がある。今すぐ繋げてほしい」
そして条約は仮調印された。
政治評論家の浅川博忠氏は、「交渉の報告を日本の佐藤首相に電話でした際に、『国内の野党対応をどうする』と問われた。椎名は『全て自分で責任をとる』と答えた。椎名はユーモアや人柄の良さとともに胆力も備えていた。あれは明治人の気骨だろう」と語る。
実際、椎名は帰国後に糾弾された。場所は衆議院予算委員会。社会党議員から訪韓時の「深く反省する」とはどういう意味か、との質問が飛ぶ。
椎名は答えた、神妙な顔で。「しみじみと反省している、という意味でございます」
人を喰ったような答えに、野党議員も思わず笑った。