「撮影第一日は忘れもしません。私ともう一人が稲わらを抱えてセリフを言いながら牛舎の外へ出る場面で、カメラは外から撮っている。撮影は朝の8時から始まったのですが、監督からなかなかOKがもらえない。
『お前、養成所で何を勉強してきたんだ! もう一回!』って。でも、何度やっても駄目なんですよ。それで、9時、10時、11時になっても、私のせいでワンカットも進まない。その間に監督からは罵倒の限りです。
ついに昼飯の時間になったのですが、『お前、昼飯なんて食わないでいいから勉強してこい!』と監督に言われましてね。そして昼休み後にまた撮影が始まったら、また同じですよ。ありとあらゆる罵声を浴びました。ついにはカメラマンが『監督、もうあかんですわ。3時。お日さまが陰ります』と言いましてね。それで、その日の撮影はワンカットも撮れずに終了してしまいました。
私は居ても立ってもいられなかったです。初めての映画撮影の現場でしたが、初めて仕事場で泣きました。仕事場で泣いたのは、あれが最初で最後です。
薩夫監督としては、自分の甥を準主役にしている。しかも、新人なわけです。ですから『プロの俳優の世界は甘いもんじゃないぞ』ということを伝えたかったんだと思います。その後も薩夫監督の映画には何本も出ましたが、何か言われたことは一度もありません。最初の現場であれだけの罵倒を受け止めたから、他の監督に多少の無理を言われても、平気になりましたね」
■春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(ともに文藝春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社刊)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。
※週刊ポスト2015年11月27日・12月4日号