田山花袋の『蒲団』は、その点、見事ですよね。妻子ある中年作家の「私」は、寄宿させていた女学生に恋心を抱くのですが、彼女と、彼女の彼氏の関係を妄想し、小説一本分ぐらい悩んでいる(笑)。明治に入り、海外から近代文学が入ってきたことで、日本の文学者は西洋的な悩みを持ってしまうようになります。要は、うじうじし始めた。
性表現がタブー視されるようになったのも、明治に入ってからです。明治時代は異常なまでに風紀を気にした時代で、刑法174条と175条で「猥褻の罪」を取り締まるようになりました。
ただし、それは建前で、本音は反政府運動を監視するのが目的でした。反乱分子をとっつかまえるとき「風紀上よろしくない」という言い方ならば、角が立たないですからね。そんな刑法ですから、売春は野放し状態のままでした。どんなことをしたら猥褻の罪に問われるかは明記されていません。そのため時代とともに猥褻か否かの価値観は変化してきました。(談)
【プロフィール】橋本治(はしもとおさむ):1948年、東京生まれ。東京大学文学部国文科卒業後、小説、評論、戯曲、エッセイと幅広く活動。『古事記』『源氏物語』といった古典の現代語訳も多い。『宗教なんかこわくない!』で新潮学芸賞、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で小林秀雄賞を受賞。
※SAPIO2016年2月号