しんがりとは「殿」と書き、登山パーティで言えば、最後尾にいて全体を見渡し、体力の限界に来ている人やケガをしている人はいないかと目を配る役割の人だ。
昔の、真に優れたリーダーは、しんがりマインドをしっかり備えていた。たとえば、常に民が飢えないようにと考えていた米沢藩の上杉鷹山がそうだ。しんがりマインドは、リーダーの資質として外せない一要素なのである。
生き延びる仕組みを自分たちで賄おうとする市民の成熟があれば、そもそも強いリーダーを求めなくともよいし、「顧客」として行政や企業にクレームをつける前にすべきことがある。
とはいえ、やはり誰かが先頭に立たなければならない場面はある。そこで請われたときには、最低限のリーダーシップを発揮できるようにしておくこと。これを梅棹忠夫さんは「請われれば一差し舞える人物になれ」と言った。
これからは地域社会のみならず、政治家、企業家であってもしんがりマインドを欠いたリーダーはあり得ない。しんがりマインドを持ち、つねにリーダーに成り代われる準備をしておきたいものである。
【プレフィール】鷲田清一(わしだきよかず):1949年京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。関西大学文学部教授、大阪大学教授、同文学部長、総長などを経て現職。著書に『分散する理性』『モードの迷宮』(以上2冊でサントリー学芸賞)など。近著『しんがりの思想』(角川新書)が話題に。
※SAPIO2016年2月号