混迷を深める対「イスラム国」(IS)戦線。イラク北部では、クルド 自治政府の軍事組織らがその“領土”をめぐり、ISと一進一退の攻防を続けている。2015年12月、報道カメラマン・横田徹氏は イラク北西部・シンジャールにて取材を敢行。その最前線に立った。
* * *
肌を刺すような寒さの中、雄大なシンジャール山を越えて私の乗る車は市街地に入る。建物の多くが空爆と戦闘によって破壊され瓦礫の山になっていた。かつてはここに「イスラム国」(IS)が陣地を築いていたが、今、周囲に彼らの姿はなく、ペシュメルガとPKK(*1)の兵士だけが駐屯している。
【(*1)ペシュメルガはイラク北部、クルド自治政府の軍事組織。PKK=クルド労働者党はクルド人の独立国家を目指す武装勢力。いずれも、イラクやシリア領内の自治区、勢力圏を守るためISとの戦いを続けている】
道端に転がる黒い物体を見ると、それは高熱によって炭化したIS戦闘員の遺体だった。2014年8月、ISの侵攻で占領されたイラク北西部の街「シンジャール」。この地に住むヤジディ教徒(*2)がISに虐殺され、6000人を超える女性や子供らが奴隷として囚われた事件は世界を震撼させた。
【(*2):ヤジディ教徒はイラク北部などに住む少数派クルド人。ISのシンジャール占領で多数が虐殺・拉致などの被害に遭った。2014年8月以降、米・仏軍が主導とする有志連合の空爆とペシュメルガやPKKのクルド地上部隊によるシンジャール奪還作戦が続き、15年11月13日、米軍らの特殊部隊と空爆の援護を受けたクルド部隊がシンジャールを解放した】
以来、米軍ら有志連合の空爆、クルド人部隊らの奪還作戦が続き、ISはシンジャールからついに撤退。昨年12月、私はIS支配から解放されて間もないシンジャール市内に入った。
この地区を警備していたペシュメルガの兵士に案内され空爆で半壊した住居に入る。「部屋にある冷蔵庫や弾薬庫などには絶対に触れるな」と兵士から忠告を受けた。撤退の際にISは仕掛け爆弾を残したようで、昨日も建物を捜索していた6人の兵士が爆死したという。
ISが滞在していた部屋には数台のベッドがあり、周囲にはコーランや脱ぎ捨てられた迷彩服などが散乱していた。部屋の隅に大きな穴が掘られ、中を覗くと奥まで続いている。それは地下トンネルの入り口だった。
仕掛け爆弾の恐怖に怯えながらトンネル内部に入ると、中は意外にも広く、立って歩けるほど。天井には電線が伸びており、弾薬箱や扇風機、携帯電話や無線の充電器が残されていた。生卵や野菜が放置されたキッチン、食料の貯蔵庫は地下で生活ができることを物語っている。驚いたことに、地下の施設は空爆のダメージを全く受けていない。
シンジャールの中心地にはこのようなISのトンネル基地が無数にあり、空爆時の避難や移動用に使われていた。トンネルはヤジディ教徒の奴隷が強制的に掘らされたという。