2014年は台湾に4年ぶりに復帰したが、シーズン序盤の5月に解雇。その直後、前ヤクルトコーチで愛媛のコーチになった加藤博人の誘いで、愛媛マンダリンパイレーツに入団した。
「自分だけの力ではここまで野球を続けられなかった。窮地でいつも誰かが手を差し伸べてくれた。アメリカから帰って来たときは、当時の新潟アルビレックスの監督だったヤクルトOBの橋上秀樹さんや、台湾で一緒だった高津臣吾さんに誘っていただいた。その後、4年ぶりにNPB(ヤクルト)に復帰できたのも2人の後押しがあったからです。
今のチームに入団できたのも、加藤博人さんのおかげ。阪神を戦力外になった時に野球を辞めていたら、こんなに人の恩を感じることはなかった。NPBを戦力外になった選手でも復帰できるという前例を作れたことは、後に続く選手のためにもよかったですね。
今年で35歳。これからは年齢との闘いです。それでも簡単にNPBのマウンドを諦めるつもりはありません」(正田)
撮影■小笠原亜人矛
※週刊ポスト2016年4月8日号