有楽町駅のガード下で開業。ビジネスマンの間で評判が評判を呼び、千葉はほどなく人気職人となったが、2012年4月、街の再開発にあたって行政機関から立ち退きを命じられる。しかし熱烈な常連の後押しもあり、5か月後、東京交通会館の1階広場という一等地を与えられ営業を再開。
その際、顧客でもあった空間デザインの最大手・乃村工藝社の渡辺勝会長が革張りのイスなどをデザインし、アパレル大手のユナイテッドアローズがユニフォームとなる英国風のツイードジャケットなどをプロデュース。靴磨き屋のイメージが一新され、人気に拍車がかかった。
移転以来の常連だという50代の金融関連会社の役員は、3か月に1度、5日間毎日通い、愛用の5足の靴を1足ずつ磨いてもらうのだという。
「他の店と比べて、ここは光沢が長持ちするし、ムラも出てこない。その間、汚れたら簡単に水拭きすればいいだけ。それ以外のことをすると余計なことするなって怒られますよ(笑い)」
路上営業していた頃、チンピラに金をせびられるなど何度も嫌な目に遭ったが、千葉にとって、一番腹が立ったのは宗教の勧誘だった。
「あいつらは、底辺の人を選んで勧誘してくる。俺も、そういう風に見られていたってことですよ」
靴磨き屋=人情物語。そんなありがちな美談にされることを拒否したのは、全員が同レベルの技術を共有するというシステムも含め「従来の靴磨き屋とはぜんぜん違う」という矜持ゆえだ。
彼らは最高の技術屋集団であり、もっといえば、ビジネスの成功者だ。
撮影■江森康之 取材・文■中村計
※週刊ポスト2016年4月15日号