「自分の言葉に責任を持ってどんどん発信するのは非常に良いことです。ちゃんと考えて話しているのだろうから、彼の言葉に反論するつもりはありません。陰でグダグダいうのでなく、堂々としていて男気があるじゃないですか」
そう語る原監督も、やはり“マラソンを語るのはまだ早い”という発言には異論があるようだ。
「日本は民主主義国家ですから、『この人はしゃべっちゃいけない』なんてことはないでしょう。私はこれからも駅伝だけでなく、陸上界、教育などについても責任を持って話していきます」
駅伝とマラソンは別物、ということでは? と聞くと、こう反論する。
「異なる分野の戦いなら別物かもしれないけど、私は陸上競技界に属していて、駅伝の監督ではなく、『陸上競技部』の監督だからね。駅伝もマラソンも陸上競技の一種なんだから、駅伝監督だからって『何もしゃべるな』というのはおかしな話でしょう」
そして自身の「指導法」に強い自信を覗かせた。そもそも監督にとっては、駅伝の選手をマラソンに挑戦させたこと自体、れっきとした「指導」の一環なのだという。
「私が選手をマラソンに挑戦させたのは、それが従来とは違う取り組みだったからです。固定観念にとらわれることなく、常にチャレンジ精神を持って新しいことに挑戦するのが青学のスタイル。東京マラソンには『マラソンチャレンジ大作戦』と称して臨んだ。これまでの指導者はその精神が欠けていたかもしれませんね。
理論は秘密なので言えませんが、青学はマラソントレーニングの概念がよそのチームとは違います。ウチは従来とは一線を画したトレーニングをやっているので、比較対象にならないんですよ。要はね、どの世界でも今の常識が将来の非常識になるんです」
(後編に続く)
※週刊ポスト2016年4月22日号