「無記」については、お釈迦様の「毒矢の譬喩(ひゆ)」が有名です。祇園精舎でマールキヤプッタ修行僧が、(1)世界について(永遠か否か、有限か無限か)、(2)いのちと身体について(同じか別か)、(3)人の死後について(存在するか否か)等の質問をしました。
修行僧に対してお釈迦さまは譬喩を用いて、それらの質問に答えないことを示しました。毒矢で射られた人が、この毒矢を射た人について(身分・名・身長・肌の色・住所など)、弓について、弦について、矢について、等がわからないうちは毒矢を抜いてはならないと言ったとしたら、その人は答えを得る前に死んでしまう、先に毒矢を抜く治療が大事なのです。
つまり、修行僧が尋ねたことは、いのちの苦しみを消すことに役立たず、逆に妨害になってしまうのです。お釈迦様は、修行僧に自己執着という毒矢を抜く治療(四諦)を説いて、戯論を禁止したのでした。
●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。 1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月と自覚している。
※週刊ポスト2016年6月10日号