昨秋と今春の大阪大会で、いずれも初戦敗退している62期生は、公式戦未勝利のまま7月15日の東大阪大柏原戦に臨んだ。
「目標は甲子園です」
主将の梅田翔大をはじめ、12人の部員は一様に球児なら当然の目標を口にしていた。だが、まずは1勝して「校歌を歌う」のが現実的な目標だった。7度の全国制覇を誇る名門が、未勝利で1年を戦い終えたことなどこれまで一度もない。
2014年4月に入学した3年生は入学当初から多くの困難に直面していた。一つ上の世代までは学園が積極的に選手勧誘を行い、特待生を受け入れていたものの、62期生には特待生が一人もいない。全員が一般入試で入学してきた生徒だ。
野球経験のある監督もいなかった。2012年に暴力事件が発覚し、当時の監督が辞任。以降は2代に渡って学園の校長が監督を兼任した。ある選手は言う。
「僕らは『すぐに後任監督は決まる』と聞かされていました。だから入学したんですけど、いつまで経っても決まらない。裏切られたという思いはありました」
2014年10月、学園は「2015年度からの部員募集停止」を発表し、2016年夏の「休部」が既定路線となっていった。
※週刊ポスト2016年8月5日号