興味本位に取り上げられて傷つく村民もいるのだろう。幸い、本誌を見た男性は「真面目そうだ」と納得し、今年度の予算が記された村の広報を持って来てくれた。そこには手厚い住民サービスの数々が書かれている。夫婦一組につき5万円の結婚祝金支給。一人10万円の児童養育奨励金。18歳までの子供医療費支給。太陽電池を設置するなら1kW当たり10万円の補助、というのもある。
「まあしかし、村民の努力で豊かになったのとは違うからなあ」
「いえいえそんなことないでしょう。やっぱりなにかしら、工夫があったのでは?」
男性は少し黙っていたがやがてにっこり笑った。
「なにもない」
歳入の半分以上を占める村税約32億のうち24億8000万円が固定資産税。これらは三菱重工をはじめ、南部の臨海工業地帯に工場を置く企業から上がる。
そしてこういう状態になったきっかけが、昭和34年9月26日の伊勢湾台風(台風15号)だった。飛島村は死者132名、全半壊計586戸という壊滅的な被害を受ける。当時は貧しい村で復旧もままならなかったが、やがて愛知県が名古屋港西部臨海工業地帯構想を打ち出したことで一気に状況が好転するのだ。
伊勢湾台風で破壊された昔の堤防の先はどんどん埋め立てられていった。工業地帯の造成が完了すると、自動的に飛島村に編入される。これが昭和46年のことで、今の豊かな飛島村の基盤ができあがった。
「そういう意味では、伊勢湾台風で亡くなって見えた(亡くなられた)方々の犠牲があって、今のこの裕福な村があるんでしょう」(前出の男性村民)
村に富をもたらした地の利は、災害の危険と表裏一体だ。来るべき大地震に備えて、村ではこの4月に北拠点避難所を完成させ、来年までにもう一か所、津波一時避難所を建設する予定になっている。
また、人口減少を食いとめるために、12月からの販売に向けて分譲住宅の開発にも取り組んでいる。圧倒的に豊かな財政を持ってはいても、悩みは尽きない。
※SAPIO2016年8月号