「一億総中流」が「隣の晩ごはん」を気にするようになった時代に、高嶺の花だったはずのうなぎに「日常のちょっとしたぜいたく」という異なる解釈が加えられた。水は低きに流れる。あっという間にわれわれ大衆はうなぎを日常食だと思いこむようになり、消費が爆発した。だが江戸時代以降の食文化史のなかで、うなぎが日常食だったことなど実はない。高度成長やバブル期に生まれた食習慣が、世界の海からうなぎを消し去ろうとしてる。
日本人は世界で獲れるうなぎの7割を消費している。もう間に合わないかもしれない。だがわれわれ消費者が日常食として位置づける限り、うなぎは確実に絶滅への一途をたどる。うなぎは高嶺に返すべき花なのだ。
確かに鶏や豚を「蒲焼き」と称するのには違和感がある。だが「蒲焼き」の名は室町時代に、うなぎを筒切りにして串に刺し、焼いた姿が蒲(がま)の穂に似ていたことに由来すると言われる。「食べ物」の姿は常にうつろいゆく。いまの姿は厳密には「蒲焼き」ではないし、「蒲焼き」の素材がサンマやイワシだけでなく、鶏、豚、かまぼこなどがスタンダードになっても不思議はない。
日常の暮らしを送るなか、いつも最上で最良の選択をできるとは限らない。だからこそ、ことあるごとに何をどう選択するか、真剣に考える必要がある。目先の利得だけでなく、この先に何を残せるか。今年の土用の丑の日は7月30日。翌31日は東京都知事選である。