アメリカのナタリー・コーグリン AP/AFLO
その瞬間こそが、他の女性の職業にはない「アスリートのエロティシズム」であり、さらに言えば、それは「健康的」で、フェミニズムにも抵触せず、国民的な、大手を振った共有物になる。 それならそれで良い。人類文化には絵空事や虚数導入が必須なのだからして、まったく文句はない。
しかし、一切の躊躇なしではっきり書くが、私は女子アスリート動画や静止画を使って、場合によってはポルノメディア以上に自慰行為を行っているし、インターネットの世界には「アスリートフェチ」の広大なマーケットが広がっている。
勿論、「性的な欲情が後退するか、霧散するかしてしまうほどに、その演技に感動してしまう」という事も多々ある。また、これは予測だが、「フェティッシュではない、健康的な肉体美フェチ」という何回もツイストした者も確実に存在していると思う。
私のとりあえずの結論はこうだ。「エロティシズム、フェティシズム、セクシー」の「健康化(ヘルサライズ)」という問題はエッセンシャルすぎて、誰にも答えが出せない。そして、そのことを、最も強く、激しく問いかけてくるのが競技者であるアスリートの肉体、その躍動なのである。
【PROFILE】菊地成孔●1963年生まれの音楽家/文筆家/大学講師。音楽家としてはソングライティング/アレンジ/バンドリーダー/プロデュースをこなすサキソフォン奏者/シンガー/キーボーディスト/ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパーソナリティやDJ、テレビ番組等々の出演も多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。
※SAPIO2016年8月号