田中角栄は「人たらし」と言われた。会った人の心を瞬時につかみ、反対派でさえも虜にする人間的魅力を備えていた。それは言葉だけの力でもカネだけの力でもない。「人を操る心理学」を熟知していたからだろう。角栄の数々の名言の背後にある人心掌握の哲学を探求していこう。ジャーナリストの武冨薫氏がレポートする。
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〈祝い事には遅れてもいい。ただし葬式には真っ先に駆け付けろ。〉
永田町で最強と呼ばれた田中軍団。最盛期には所属議員140人に達し、「角さんが黒といえば白いものでも黒だ」(金丸信・元自民党副総裁)という鉄の団結を誇った。そうした団結の根底にあったのが葬儀だ。
角栄は子分だった竹下登の父の葬儀にあたり、わざわざ飛行機をチャーターして総勢69人の議員を引き連れて参列し、人口4000人の村(島根県掛合町)を驚かせた。
派閥の幹部だった竹下だけではない。「陣笠」と呼ばれる若手議員でも、親類が死んだときには角栄は軍団を率いて遠路、葬儀に出向いた。
九州の元田中派議員の秘書を長く務めたベテラン秘書が振り返る。
「私が仕えていた議員の父の葬儀にも、角さんが大臣や党幹部たち軍団を連れてきてくれました。地元の有権者はテレビでしか見たことがない大物議員がぞろぞろやってきたから『うちの先生はそんなに力があったのか』とびっくり。次の選挙からは後援会の参加者が増えていっぺんに選挙に強くなった」
葬儀で子分たちの選挙を強くし、軍団を大きくしていったのである。こんなエピソードもある。報道写真家の山本皓一氏が語る。
「角栄は、昼間に背広を着て世話になった人の墓参りをすることがあった。新聞社のカメラマンたちは、それを写真に収めた。すると報道陣が引きあげた後の夕方、もう一度、私服に着替えて同じ墓に現れた。そしてあらためて静かに故人の冥福を祈る。そんな人だから『パフォーマンスのための墓参りではない』と、支持者たちにも慕われた」
※SAPIO2016年9月号