石川島播磨重工の時代に造船疑獄事件の関与が疑われたときも、捜査にあたった検察官は土光の質素な家を見て、「この人は違うな、と直感した」と記者団に語っている。
土光の質素倹約の背景には、自身も公言している法華経の影響があったが、仕事に対する哲学については、幕府が財政難に陥っていた江戸時代中期の思想家、石田梅岩を開祖とする「心学」が根底にあるように見える。心学は、働いても働いても収入は増えず、貧しいままの時代に生まれた、「前向きに一生懸命働くことで、自分が磨かれ、幸せになる」という思想だ。
土光は部下を、「100できる人には130の仕事を与えて乗り越えさせることで成長させる」という考え方で育て、「社員はこれまでより3倍頭を使え、重役は10倍働く、私はもっと働く」と発破をかけた。その証左に社員の誰よりも早く朝7時には出社し、「幹部はエラい人ではなく、ツラい人」と語る土光の求道者的な姿勢は終生変わることはなかった。
労組との交渉でも一升瓶を持って労働者の輪に入っていった土光が、もしいまも生きていたら、心学を適用させた新たな働き方を生み出したのではないか。
【PROFILE】かく・こうぞう/1958年大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒業。『歴史研究』編集委員、中小企業大学校講師、内外情勢調査会講師。著書多数。近著に『歴史に学ぶ自己再生の理論』(論創社)などがある。
※SAPIO2016年10月号