広島黄金時代を知る一人、長内孝氏
同じく『カープ鳥』の店舗オーナーになった長内孝(59)も、黄金時代を知る一人だ。1983年、阪急から移籍の加藤秀司を押しのけ、一塁のポジションを獲得。入団以来、毎日1000スイングを続けた努力が花開いた。古葉監督から「3番で行くぞ。外国人取らないから」と確約された翌シーズンは不調に陥り、新人の小早川毅彦にレギュラーを奪われる。それでも、阪急との日本シリーズ第7戦、1点リードを許して迎えた6回表2死満塁の場面で、一塁線の打球にグラブを伸ばして大ファインプレー。逆転日本一を手繰り寄せた。
「オフになって、右手を骨折していたと気付いた。シーズン中に『腕が腫れてグローブに手が入らんのです』と伝えても、コーチに『行け!』といわれた。痛くても休めない雰囲気があった」
12年間務めたコーチを退任後、2006年に『カープ鳥』で半年間修業。強面で、自らも「人と話すのが上手じゃない」という長内は20歳近く年下の店長に教えを請うた。コーチ時代と180度逆転した立場に戸惑いはなかったか。
「全くないですね。この業界では一番下なわけだし、何も知らない自分に教えてくれるわけですから。今でも、師匠には『さん』付けですよ」
汗を拭いながら懸命に焼き鳥を作る姿は、猛練習に耐えて栄光を勝ち取ったカープ戦士の生き様そのものだった。
優勝は店内のテレビで観戦。あと1アウトの場面で客に「座って見んさい」とカウンター席に招かれ、胴上げ後に樽酒で乾杯したという。
(文中敬称略)
●取材・文/岡野誠 撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2016年10月28日号