このような四大ブロックが形成されてゆく中で、日本の選択には試行錯誤がありました。日米同盟に固執する勢力も強かったのです。しかしアメリカ側の腰がひけてゆきました。代わりに入り込もうとしてきたのは中国とロシアです。
これはもう日本の地政学的宿命でしょう。日清戦争、日露戦争、日中戦争、日米戦争。中国ともロシアともアメリカとも国家の存廃をかけて正面から戦争した国は、世界広しといえども日本だけでしょう。別に日本が好戦的であったとは思いません。ロシアと中国とアメリカにはさまれたところに日本列島があるのですから。
日本が広がろうとしても、向こうが出っ張ろうとしても、ぶつからざるを得なかったのです。
そのあげくのはてに日米戦争で派手に敗れてしまったあとは、圧倒的軍事力を誇るアメリカの「核の傘」の下に入り、アメリカ軍を国内に駐留させました。そうやって「長い平和と繁栄」を手にしました。が、アメリカが陰れば、中国とロシアの脅威が増すのは当たり前でしょう。
そこで日本はどうしたか。まず抬頭したのは自主防衛論でした。核武装で国の平和と独立を守ろう。そう唱えた政党が総選挙で勝利しました。しかし、日米安保条約を廃棄して、アメリカとロシアと中国の谷間で軍事大国化を達成しようとするのは無理筋でした。仮想敵国が米中露全部では、どんなに武装しても追いつきません。おまけに少子高齢化が進み、人口も経済も縮小する一方。お金も無くなってきました。
自主独立路線の政党が軍事大国化の公約を果たせず支持を失ったあとを襲ったのは、米中露の全部と緊密に連携しての平和構築を目指す政党でした。現在の政権与党です。