江戸時代が終わったのは、1868年。今から149年前のことだ。こう聞くと、そんなに昔のことではないような気がする。ドラマや映画で取り上げられるのは、どうしても武士や将軍ばかり。私たちのような市民はいったい、どんな生活をしていたのだろうか。
◆長屋は江戸時代のシェアハウス
江戸時代の町人は、主に長屋に暮らしていた。背中合わせの棟割長屋で、間取りは、九尺二間(間口約2.7m、奥行き約3.6m)と、かなり狭い(妻帯者用は、三間というところも)。トイレと井戸、ごみ捨て場は、共同。四畳半の座敷と土間と台所というのが一般的なつくりだった。
『江戸の食卓に学ぶ』(ワニブックス刊)などの著者で江戸料理・文化研究家で時代小説家でもある車浮代さんは言う。
「家賃は、400~800文(1万~2万円)で、長屋の住人の1か月あたりの収入は、6000~8000文(15万~20万円)でした」
収入と比べて、家賃はかなり格安だ。というのも大家は、家賃ではなくて、“別のもの”で儲けていたという。
「下肥(しもごえ)です、下肥は糞尿です。農民に肥料として売れたのですね。お金持ちのほうが栄養のある物を食べていたという理由から、武家の下肥のほうが値段が高かった。また、長屋の貧富によって下肥の値段も違いました。結構、いい値段になったそうで、店賃を滞納しても、次の入居人がいない限り、なかなか追い出さなかったのは、下肥が売れたから」(車さん)
◆いたれりつくせりの訪問販売『棒手振り』
冷蔵庫もない時代、家で貯蔵できるものといえば、漬け物くらい。そこで江戸では『棒手振り』という訪問販売が長屋まで毎日、来てくれた。
「豆腐屋、魚屋、貝売りなど数十種類の棒手振りがいました。納豆屋や豆腐屋だったら早朝、魚屋は日中など、それぞれ来てくれる時間帯も決まっていました」(車さん)
さらにサービスも充実していた。しじみやあさりは砂抜き、豆腐はさいの目に切ってあげる、魚もその場で刺身にしてくれる…と、いたれりつくせりだった。ちなみに蛤は一升で20文(500円)、納豆は丼一杯で8文(200円)ほどだった。
また、お総菜専門店も人気だった。4文均一でお総菜を売る四文屋という店があった。100円均一のお総菜ショップだ。その他にも、現代でいうファストフードにあたるそば、寿司、てんぷらといった屋台もいたるところにあった。こうしたお総菜や外食システムができたのは、江戸が男社会だったという背景があるようだ。
『江戸はスゴイ』(PHP新書)著者の堀口茉純さんは言う。
「江戸は、新しく武士のために作った町で、男性の単身赴任が多かった。その江戸の町を作るために、土木業とか物を売りに来る人も、ほぼ男でした。もともとの人口がいない場所に、それだけの男が来たので、女性がものすごく少なかったんです。
そうした男社会で食事どうする? という差し迫った問題が出てきて、外食産業が発達したんです」
◆とにかく米を食べる。1日5合をペロリ
江戸時代の食事は、一汁一菜。おかずが少ない代わりによく食べていたのが、白米だ。
「成人男性は、1日平均5合も食べていました。かなり塩辛いたくあんだけをおかずにして、食べるときもあったほどです」(車さん)
現代のように炊飯器で保温できないので、朝に1日の分を炊いて、昼と夜は冷や飯を食べた。ちなみに、1か月の米代が長屋の家賃よりも高い家庭がほとんどだったという。
※女性セブン2017年2月16日号