ところが、好景気は長くは続かなかった。1964年に東海道新幹線が東京-新大阪間で開業すると、徐々に熱海は素通りされるようになっていく。1973年のオイルショックで高度成長が終わりを告げると、会社を挙げての宴会が減り、ますます観光客の姿は減った。1980年代後半には円高により海外旅行ブームが到来。熱海には行ったことがなくても、グアムやハワイヘは行くという人たちも見られるようになる。その後、バブルが崩壊すると、熱海に残されたのは、古びた観光施設ばかりとなった。
旅行ジャーナリストの村田和子さんは、輝きを失う最中にあった熱海をこう振り返る。
「景気の低迷で、社員旅行を取りやめる企業も出てくる中、旅も団体旅行から個人旅行へとトレンドが移っていきました。しかし、1950年代から1960年代にかけて競うようにして建てられた団体客向けの大型ホテルが中心になっていた熱海は、そうした動きへの対応がスムーズにいかなかったのです」
東京在住の53才のある女性は、幼い頃に家族で出かけるとしたら熱海だったという。
「熱海は、おしゃれな格好をさせてもらって家族揃って出かける、特別な場所でした。熱海へ行く前には、服を新調してもらえるのも楽しみだったんです。ところが、いつの間にかオヤジの宴会場になっていて、自然と熱海から足が遠のいていきました。
私自身、20代の頃は海外へ行って免税品を買う方がずっと楽しくて、旅行先の候補に熱海を入れるなんて、考えもしませんでした」
団体客のいなくなった熱海は、それまで以上に寂しさを感じさせる街になっていた。
熱海に生まれ熱海で育った、熱海市役所観光経済課の山田久貴さん(51才)は、民間企業勤務時代、出身地を聞かれて答えると、必ず決まった反応が返ってきたと言う。
「まずは『いいところですね』と言われるのですが、二言目には『最近は、以前ほどの活気がないね』とか『廃れちゃったよね』と言われてしまう。確かに、観光客が減って閑散とした店が増えて街全体がどこか活気がなくなった感じはしていました」
熱海の年間宿泊客数は、2011年度には247万人にまで落ち込んだ。1969年が532万人だから、およそ半減したことになる。
※女性セブン2017年2月23日号