百合子氏の父、勇二郎氏とはどんな人物なのか。戦時中、スメラ塾という右翼結社に参加していた勇二郎氏は「第三世界」「民族独立運動」など超国家主義思想に傾斜し、戦後、神戸で貿易商を営んでエジプト、サウジ、クウェートなどアラブ諸国を何度も訪問して各国の大臣クラスに太い人脈を築き、石油の買い付けにも成功する。当時のアラブ世界では名が通った日本人だった。
三島由紀夫に傾倒し、「楯の会」の若手や右翼学生の面倒も見た。
〈大正十一年に神戸で生まれた父は、戦争中海軍に身を置いた。終戦後は、ペニシリンで一儲けした後、重油を関西電力に卸す商売やガソリンスタンド経営など石油がらみの仕事をベースに、三十代で関西経済同友会の幹事を務めるなど派手に立ち回ったようだ〉(小池百合子「オヤジ」/文藝春秋2008年6月号)
大言壮語を絵に描いたような人物だったらしい。交友があった右派の政治団体幹部がその人となりを振り返る。
「小池勇二郎さんねぇ……。自称・元海軍将校で戦争中にアジア解放の使命を軍部に命じられ、戦後になっても一部政治家、元高級軍人らからの密命を帯びて世界中を飛び回っていたと。喋ってることのすべてがそんな調子だから、どこまで本当なのかは分からない。
で、大風呂敷の合間に『この事業に投資しないか』みたいな話が出てくる。娘の百合子さんをカイロ大学で学ばせたのも、彼に言わせると、『自分が新たな大東亜共栄圏建設のために、世界中を歩いた結果のコネクション』なんだとか。まァ、話半分に聞いてましたよ」
一呼吸置いて「ただ」と続けた。
「金儲けのために政治運動家を自称していたような人ではない。真剣に政治のことを考えていた人だったと思う。唐突に電話をかけてきては、『いま私が総理大臣だったらこうします』なんて言い出すんです。それがあまりに真剣すぎるから、こちらが困ってしまうほどでしたがね」