こんなに旅をして旅費はどうしていたのか。評伝作家として著者はそこも見逃さない。下級武士の家とはいえそれなりの家産があった。親友だった漱石によればそれを「食いつぶした」。
喀血したあとも旅をやめない。明治二十六年の夏には東北に大旅行する。一般に日本人の旅は、未開の地には行かない。先人が旅したところを辿る。いわゆる「歌枕の旅」になる。子規の東北大旅行は芭蕉の「おくのほそ道」を辿る旅だった。仙台、山形、秋田と歌枕の地を訪れる。駒下駄で歩いたという。
著者は、自分でも子規の旅を辿る。子規が見た風景を見ようとする。「調べて書く」ことに定評のある著者は、資料を読みこむだけではなく、旅もしている。明治二十九年、三陸地方に大地震が起り、津波が襲った。旅した土地だっただけにその惨状に子規は心を痛めた。明治の三陸大津波と三月十一日を重ねて語る章は、著者の思いがこもっている。
※週刊ポスト2017年6月9日号