一家族ごとにテーブルと椅子が配され、テーブル上には薄ピンクの布で包まれた約30cm四方の箱と、デンファレ、ラン、ユリなど色とりどりの花びらが置かれていた。箱の中に入っているのは、溶ける袋にパッキングされたパウダー状の「粉骨」だ。船員服を着用した司会者が、こう切り出す。
「では、まず全員で黙祷を捧げたいと思います」
合掌する向きも、両手を下に伸ばしたまま、頭を下げる向きもいる。ひととき、沈黙の時間が流れた。
「お直りください」
この日、クルーザーはほとんど揺れなかった。
司会者から「左手に見えますのは、建設中の東京オリンピック選手村。右手は、大型客船の着く晴海客船ターミナルです」などと案内があると、乗客たちは窓を覗き込み、スマホを向けて盛んに写真を撮る。飲み物のグラスを手に、歓談しあう。私の目には、観光乗船と変わらないように見える船内風景が続いた。しかし、あちらの家族から「こんなにいいお天気なの、お母さん、晴れ女だったかしら」「いや、人徳だよ、お母さんの」との会話も漏れ聞こえてきた。
芝浦埠頭、レインボーブリッジ、お台場、品川コンテナ埠頭、そして遠くに東京湾アクアラインのサービスエリア『海ほたる』などの景色を眺めているうち、予定時刻ぴったりに、散骨ポイントの羽田沖に到着した。エンジンが止まる。先ほどからBGMにかかっていた、ジョン・レノンが切々と歌う『イマジン』が大きく聞こえてくる。
◆娘がエンディングノートに「海洋散骨」と明記
「これより、順にご案内いたします」
一家族ずつ順番に、船尾に誘導され、箱から「粉骨」の入った袋を取り出し、それを手で破って海面に撒く。私は、撒く人たちの背中を見ていたが、「お母さ~ん、ありがとう~」「◯◯ちゃ~ん、また会おうね~」などの声も風間に舞い、胸を打つ。粉骨の次は、花びら。ひらひらと波面に落ちていく。
5組すべてが終わると、「屋上デッキにお上がりください」。
目の前に、すっくと管制塔が立つ羽田空港が見える。斜め上には、飛行機の誘導路だという橋を仰ぐ。着陸体勢に入った飛行機が高度を下げ、轟音を響かせながら近づいてきて、クルーザーの真上を通る。そんな劇的な光景の中、散骨した人たちは船から身を乗り出し、海面を熟視しているもよう。すでに粉骨は識別できないが、花びらが浮き広がっているのがちらほら見える。
「ただいまより、鐘を10回鳴らします。故人の冥福を祈って、黙祷を捧げたいと思います」と案内があり、私も頭を下げ、目をつぶった。