【著者に訊け】松永正訓氏/『呼吸器の子』/現代書館/1728円
【内容】
先天性代謝異常のゴーシェ病患者の凌雅(りょうが)くんは、小児外科医の著者にとっても、自宅で人工呼吸器をつけて暮らす例は見たことがないという最重症の障害児。2才までの命という宣告を受けながら、両親と姉に囲まれ、ヘルパーや看護師、教師などさまざまな人の支援を受けて、14才の誕生日を迎える。両親はもとより、かかわる人々にインタビューし、障害児の生と死、日常を見つめながら、人が生きるとはどういうことなのか、人間とは何かを探っていく。登場するすべての人の自然な態度と、真のやさしさが胸に染み入るノンフィクション。
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昨年7月に起きた相模原市の障害者大量殺傷事件の容疑者は、凶行に至った動機を、こんな言葉で語った。「障害者は生きていてもしかたがない」「障害者は不幸を作ることしかできない」──果たしてそれは本当か。
小児外科医・松永正訓さんの最新作『呼吸器の子』の主人公・凌雅くんは、最重症の障害者だ。容疑者からすれば、凌雅くんもまた「不幸を作る」存在なのだろう。しかし、と松永さんは言う。
「凌雅くんのお母さんは、“この生活が楽しい”と言う。何を根拠にそう言い切るのか、それを体験として知りたいと思いました」
医者としてではなく「一観察者」として交流を重ねて、「人間のレベルとして、このお母さんには勝てないと思いました。凌雅くんのケアも一つずつこなし、実に丁寧に生きているんですね。取材した4年間に多くの教えを乞いました」。
介護を美談に仕立てるときにつきものの健気な頑張りもなければ、悲壮感も強がりもない。だからこそ、「介護の大変さ」や「障害児のいること」がイコール「不幸」や「不自由」ではないことを読み手の心にきちんと刻んでくれる。人はすべて存在するだけで尊厳があることも説く。
「今は健康でも、誰もが障害者になる可能性があるのだから、障害者の問題はすべての人にかかわる問題だとよくいいます。でも、この言葉は現実にはあまり胸を打たない。なぜなら、人は自分が障害者になることはなかなか想像できないから。ですから、自分がもしも障害者だったらと置き換えて考えるよりも、今の自分を見つめてみては、と言いたいのです」
人は誰もが多かれ少なかれ、どこかで不条理な痛みやつらさという重い荷物を背負って生きている。
「苦しみを抱えながらもどう生きていくかは、自分で決められるんです。誰かに強制されるものではなく、自由に決めたらいい」
それは、障害の有無とか障害児を介護していることとは関係なく、自分で選択し、決意する生き方だ。
「この本が、障害者をとらえ直す機会になると同時に自分の生き方を見つめ、人間とは何かと考えるきっかけになればと願っています」
(取材・文/由井りょう子)
※女性セブン2017年9月7日号