1980年代、女性アイドルの黄金期に大映ドラマ『ヤヌスの鏡』(フジテレビ系)で大ブレイク。以後、女優のみならず歌手活動や雑誌のヌードグラビアなどにも挑戦してきた杉浦幸(48)。今年、実に30年ぶりとなる新曲『密やかな恋』(加藤シングオーとのデュエット/11月29日配信開始)を発売した杉浦が、アイドル時代の“逢瀬”や現在進行形の恋愛について暴露する。
──80年代のアイドルは今以上に男女の恋愛関係に厳しかったと思いますが。
「じつは私は10代のころからマネージャー黙認の彼がいました。忙しい合間を縫って、鎌倉方面などドライブデートにも行きましたよ。ただ、車内の2人を写真週刊誌に撮られたら大変なので、彼が運転する時はいつも助手席がマネージャー、私は後部座席に身をうずめるように乗っていました。そして、マネージャーが邪魔になったら、人通りの少ない場所でこっそり降ろして(笑い)
時間がなくて都内で会う際には、絶対にツーショットを撮られないように、真ん中にマネージャーを挟んで会話していました。とても邪魔でしたが、マネージャーも『俺だって真ん中に入りたくねーよ!』と笑っていました」
──当時は携帯電話も普及していない時代。連絡を取り合うのも一苦労だったのでは?
「そうなんですよ。だからお互い自宅の留守番電話に要件やメッセージを吹き込んで、出先の公衆電話から暗証番号を入力して聞いていました。当時のアイドルは皆隠れてこの方法を使っていました。公衆電話とはいえ、誰に見られているか分からないので、わざわざ遠くの場所までかけに行ったりもしました」
──マスコミに限らず、ファンに熱愛現場がバレたことはなかったのですか?
「デート先で食事をするときも念入りに事前リサーチして、地元の人が個人でやっているような居酒屋とかおでん屋さんに行くようにしていましたね。
でも、一度だけ大きな失敗をしてしまったことがあります。私は18歳から一人暮らしをしていて、当時、某タレントさんと付き合っていました。彼はファンからのプレゼントを山のようにもらう人で、私の家にそれを持ち込んでいたんです。
ある日、その中のセーターを、うっかり私が着て雑誌の取材に出かけてしまったんです。女性が着てもおかしくないデザインだったので、つい……。
すると、後日、『なんでアンタがこれを着てるの!』と彼にセーターを送ったファンに仕事先まで待ち伏せされて大変な目にあいました。もともと彼と私は付き合っているという噂も流れていたので、ピンときたんでしょうね」
──今のようにSNSが発達していたら、大きな騒ぎに発展していたでしょうね。
「週刊誌報道は噂レベルでも反響が凄まじかったですよ。私も過去に何度か熱愛記事を書かれたことがありますが、ある時、事務所に『僕の青春を返してください』という手紙とともに、私の写真集やレコード、雑誌の切り抜きなどが段ボールいっぱいに送られてきたことがありました。
送られてきた物の汚れがひどかったので、その段ボールは中身ごと捨ててしまったのですが、後日、私と噂の彼の破局報道が出た途端、『やっぱり返してください』という連絡が何度も事務所にあって大変でした(笑い)」