認知症の母(83才)の介護を続けている女性セブンのN記者(女性・54才)。植物に心を寄せる母の姿に、何を感じたのか。N記者が明かす。
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母は認知症の診断以前から、同じ話を繰り返すなど、それらしき症状が見えていたので、実際には、発症から10年近く経つのかもしれない。
診断当時は“物盗られ妄想”などの症状も壮絶で、実家の枯れ放題の鉢植えを見ては「認知症患者の平均余命8年」という情報に絶望的な気持ちになったものだが、要介護申請をして介護のプロにかかわってもらい、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に転居して3食を食堂に託し、デイサービスなど活動的な生活を始めると、みるみる落ち着きを取り戻した。生き甲斐を失うどころか、夫との死別後、自分の老後を生きる意欲が湧き出し始めた感じだ。
母の状態が好転し始めたことを認めたのは、転居して間もなく、認知症の定期診察の帰り道でのこと。ふと母が目の前の街路樹に向かって、
「あらあら、すごい柄ね。服着てるみたい」とつぶやいた。
見ると、プラタナスの幹が、なんともみごとな迷彩柄!
「ホントだ! うちのS(娘)もよくこういうの着るよ」と、2人で笑った。
当時はまだ妄想などの激しい症状があり、私も辛抱できずに、母娘間の空気は険悪だった。そんな中、久しぶりに交わした穏やかな会話だった。それにしても、並んで歩いているのに、見るところが違うものだ。認知症だから、少なくとも私よりは視野が狭いと思っていたので、結構、驚いた。
そして母はプラタナスの根元の雑草の花に歩み寄り、愛おしそうに1本摘んで帰り、父の写真の前に飾っていた。
この出来事の後、取材でお会いした漫画家でうつの克服体験を綴った『うつヌケ』の作者・田中圭一さんから、「うつが快復し始めたことを実感したのは、道端の花にふと目を留めた自分に気づいたときだった」と聞き、思わずこのときの母を思い出した。
◆ちいさな葉っぱに命を感じ、心がわくわくする
母はもともと家を花で飾るとか、土いじりが大好きという人ではないが、私が子供の頃、こんなことがあった。
「Nちゃん見て見て! 葉っぱの赤ちゃんが生まれたよ」
植物の種類は忘れたが、母が窓辺の観葉植物の鉢植えをのぞき込み、興奮していた。それは昨日今日に顔を出したばかりの葉で、形はほかの葉と同じなのに、小さくてつやつや。まさに生まれたて!
それまで植物はいつも同じ無表情の“モノ”に見えていたのだが、目の前の小さな葉っぱはまさに今“生きている”感じがして、子供心にドキドキしたのを覚えている。
その影響か、今も私は自宅のプランターの中の小さな芽吹きや、あさがおの蔓が園芸ロープをズンズン上って行く姿に興奮し、つい娘を呼んでしまったりするのだ。
きっと母の中にあのドキドキがよみがえったのだ。そう思って最近は梅、桜、あじさい、紅葉と、折々の花木を訪ねて母と出かけるようになった。おかげで、季節感なく忙殺されていた私の生活にも、ささやかな四季の彩りが。うれしい伴走介護の賜物である。
※女性セブン2018年2月15日号