【著者に訊け】ジェーン・スーさん/『生きるとか死ぬとか父親とか』/新潮社/1512円
【本の内容】
〈母は、私が二十四歳の時に六十四歳で亡くなった。明るく聡明でユーモアにあふれる素敵な人だった。(中略)私は母の口から、彼女の人生について聞けなかったことをとても悔やんでいる。父については、同じ思いをしたくない〉。父親について書くと決めてから、母が亡くなって以来の親娘の習慣、月に一度(かつては週に一度!)の墓参りの帰りに、主にファミレスで父親の人生について聞く習慣が加わる。戦時下の話、バブルの頃、そして全財産の喪失を経て今―家族と時代を描いたエッセイ集。
20年前に母が亡くなってからの、残された父と、娘である自分との日々を描いた。毎月、墓参りに行き、食事しながら父の若かりし日の話を聞いたりもする。
「『仲いいですね』とよく言われるんですが、第一次、第二次世界大戦後の和平交渉というか(笑い)、決して何もなかったわけではないんですよね。『仲がいい』と言われるまでにどれだけの衝突があったか、ということも書いています」
3人家族の中心は亡くなった母で、父と娘は、年の離れた兄と妹のような関係でいられた。大きすぎる不在を抱えたままの同居はうまくいかず、いまも別々に暮らす。
アラサー、アラフォー女性の生き方を描くエッセイで人気を博したが、次に何を書くか考えたとき浮かんだのが「父のこと」だった。
「2冊目の本(『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』)で自分のことも書いたとき、父と、亡くなった母のことを書くのは避けられませんでした。私の中に、父に対する恨みつらみっていうのが結構、あるんだなと気づいて。ちょうど、すっからかんになった父がお金の無心をしてきて、すべてのタイミングが合ったんですよね」
新しい部屋に引っ越したいと言われ、「お金は出すけど、あなたのことを書くよ」と娘は提案、父も受け入れ、毎月の連載が始まった。過去をやり直すかのように2人で動物園に行き、地元のとんかつ屋で一家を知る人に偶然、出会う。回を重ねるにつれ、戦争体験など、それまで知らなかった父について、少しずつ娘は知っていく。
24歳で母を看取ったときは父も病気で入院しており、母以外の女性の存在もあった。家族が暮らした小石川の家は、父の事業の失敗で手放さざるを得なかった。
「思い出して書くにはしんどいこともいっぱいありましたけど、『でこぼこだけど楽しい我が家』だけでは、3色ぐらいの絵の具で塗った絵になってしまうので」
よく似た父と娘はともに極度の照れ屋で、深刻な話も、飄々と笑いをまじえて話し続ける。
「知らない話を父に聞くのは楽しかったです。1つの面しか見ないで親をジャッジしていたのを、もう少しいろんな面から見られるようになった気がします」
◆取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2018年6月7日号