そんなことよりも、なぜウソをついたのか、その背景にどんな人間関係や、思惑や、正義があったのか。“悪さ”を整理することで、社会で今なにが起こっていて世の中がどっちの方向に向かっているかが見えてきます。例えば、日本大学アメフト部の井上奨・元コーチの“ウソ”については、彼の置かれた立場の難しさや、一方で権力への色気など、彼の思惑に思考を働かせることで、もしかしたら同情の余地もあるかもしれません。
最近、恐ろしいと思うのは、「バッシング=正義」という風潮が強まっていることです。過激な物言いで他者を批判する人が、“物言える人”として支持される。その構図は非常に危険です。
こうした空気が満ちてくることで、人は“他人に危害が加わってほしい”という興味を持つようになり、特に権力を持つ人が地に堕ちれば、自分の気持ちが浄化され溜飲が下がる、という極めて不健全な思考を持つようになります。しかし、それが実は虚しい。この虚しさこそが、ウンザリ、閉塞感の正体なのではないでしょうか。
私たちは、自分の生活の中で、日々起こっていることについて考え尽くすこと、多面的に見ること、考えを洗練させることに力を注ぐべきであり、それが豊かな社会を作ります。ウンザリしていてはもったいないですよ。
※女性セブン2018年6月28日号