茨城県にある工房で怪談を創作する
かくして怪談の語り部となったが、「いざやってみると疲れてボロボロです」と苦笑する。夏から秋とツアーで全国を回り、終われば翌年の準備に入る。毎年、オリジナルの新作怪談を発表するが、稲川が語るのは、現代社会のどこにでもありそうな身近な怖い話。全国に足を運び、地元の人に聞いた話を元に再取材して怪談を完成させる。
「真剣に取り組んでみると、次はもっといい仕事をしたいと思うから手が抜けません。私には怪談の師匠はいないし、習ったこともありません。原点はオフクロが聞かせてくれた怪談です」
戦後の娯楽が少ない時代、毎夜母が語る怪談は、稲川にとって身近な存在で、「日常そのもの」だった。
「東京でも夜は真っ暗。幽霊が出てもおかしくないんです。弟と並んで布団に入ると、私たちの間にお袋が座って『これはねぇ、私が子供の頃に本当にあった話なんだよ……』って、ぽつりぽつりと話してくれる。怖かったねぇ」
稲川の語り口は、母親から自然と習得したもの。聞いた怪談を学校で話すと、友達にせがまれるようになった。
「教室で『稲川君、怪談やって』と頼まれて、話すと喜んでくれた。女の子にモテました(笑い)。怪談は、人と人をつないでくれるんです」
怪談が人との縁を紡ぐという想いは、今も変わらない。