しかし、この第一条がやがて一人歩きし、玉虫色の部分の解釈闘争が始まる。明治の自由民権運動も大正の普通選挙運動も第一条を正統性の根拠とした。国民の最大多数が速やかに政治に参加できるようにするのが明治維新の精神だ! いや、それは拡大解釈がすぎる、民意よりも天皇の意思の方が大事! この争いこそ日本近代の肝であろう。
第二条「上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ」では「経綸」の語釈が問題になる。政治・社会・経済の全般の意味にもとれるが、起草者の由利公正は特に経済の意味のつもりだった。第二条は、経済発展第一主義、極端に言えば金儲け至上主義、「豊かになれる者から豊かになれ」主義か、道義や友愛や平等性や社会秩序を重んじるかの闘争を生み出すように出来ていた。
◆「人間宣言」に引用した
第三条「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス」も複雑である。幕末には全国的に農村が困窮し、暴動や逃散を生んでいた。由利公正の原案は「庶民志を遂げ人心をして倦まざらしむるを欲す」だった。天皇が仁政を施し、農民や町人の税負担を減らし、社会の安定をはかるというつもり。
だが、天皇が庶民を経済的に救済すると公に宣言しては、新政府がそれをできなかった場合、維新はたちまち危機に瀕する。そこで、公家も庶民も誰もが志を遂げられる社会を作るという表現に変わった。