平成が終わろうとしているいま、戦前は遠い過去になろうとしている。「思想検事」という言葉も歴史のなかで消えようとしている。
思想弾圧があった。転向があった。戦後の民主化があった。激動の時代を生きた「父」がいま舞台を去ろうとしている。その父の時代を知っている「息子」も老いてゆく。自分の子や孫はもう「疎開」も「国民学校」も知らない。まして「思想検事」がなんたるかも知らないだろう。
戦争が終って七十年以上になる。戦後に生まれた世代も、もうじき七十五歳、後期高齢者になろうとしている。
過去は老いの身から見れば、まるで夢、幻影、まぼろしではないのか。『流砂』という書名が、そう考えると重い。
◆文/川本三郎(評論家)
※SAPIO2019年1・2月号