まず、集団Aのメンバーは、もともとまったく見ず知らずどうしのはずなのに、お互いを理解し合うようになった。「独特の芸術」という共通の嗜好があるように伝えられて、お互いに親近感がわいたのである。そして、それは「自分たちの集団は、もう片方の集団よりも優れている」という集団意識の形成にもつながった。これは「内集団バイアス」または「内集団びいき」などと呼ばれる。
つぎに、集団Aのメンバーは、「集団Bは、同じような人たちの集まりだ」と感じるようになった。実際には、集団Bに入った人には、さまざまな個性があるはずだが、集団Aのメンバーにはそれが見えなくなった。そして単に、「自分たちとは別の集団に入っている人たち」というレッテルを貼ったのである。これは、「外集団同質性バイアス」と呼ばれる。固定観念や偏見が、始まるきっかけとなる。
集団への帰属意識は、このような内集団バイアスや、外集団同質性バイアスを生み出しかねない。そして、それは、過度の仲間意識や、差別意識の形成という弊害につながっていく恐れがある。
注意しなくてはならないのは、最初はあまり意識せずに、なんとなく集団に属していたはずなのに、ふと気がついてみると、いつの間にかその集団に対する強い愛着心が芽生えていることである。バイアスは、知らず知らずのうちに生じてくるのである。
たとえば、野球やサッカーなどのスポーツでは、チームごとに、ファンやサポーターがいる。ファンやサポーターは、多かれ少なかれ、こうしたバイアスの意識を持っている。
あるチームの熱狂的なファンを考えてみよう。このファンは、そのチームに関するものは何でも大好きだ。公式戦がある日は、なにがあっても競技場に駆けつける。試合が始まれば、声を枯らして応援をヒートアップさせる。そして、ゲームに勝てば歓喜し、負ければ悔し涙を流す。
こういう熱狂的なファンは、チームの個々の選手というよりも、チームそのものに愛着心を持っていることが多い。その証拠に、ある選手がトレードなどで別のチームに移籍したとする。すると、移籍先のチームとの対戦のときに、その選手に対して、ひときわ大きなブーイングを浴びせたりする。
ヘンリー・タジフェルは、自分と自分の所属集団を同一化し、誇りや恥ずかしさなどの感情的意味合いが加わると、集団意識が「社会的アイデンティティ」と呼ばれるものに高められると唱えた。こうなると、自分の所属集団を他の集団と比べたときの相対的な優劣が、自分自身の優越感や劣等感に直結しやすくなる。この社会的アイデンティティにとらわれると、人はさまざまな極端な行動に走りかねない。