ぼくは、幸福になるためには「なんとかなるさ」という楽観主義が大事だと思っている。がんになって、「もう治療法はありません」と言われるような状況になっても、災害で住む家を失くしても、「なんとかなるさ」と言える人は強い。このへんは、後に述べるアランの「幸福論」にも通じるが、辛口のショーペンハウアーからも感じ取れるのはおもしろい。
『幸福について』の中に、「年齢の差異について」という章がある。青年期は、「性欲、すなわち人間が絶えずとりつかれている悪魔の支配に服している間」であり、「不断の軽微な精神錯乱状態が維持されている」時期だとしている。それに対して、性欲が消滅した老年期は「完全に理性的になる」と述べながら、「他方からいえば性欲が消滅したあとは、人生の本当の中核は食い尽くされてしまっていて、今や人生の外殻だけが残っているのだといえよう」と述べている。それは「人間の衣裳を着けたロボットが終幕までを演ずる喜劇のようなもの」とキツイ表現をしている。
この点、死ぬまで性愛をすすめている週刊ポストは、ショーペンハウアーの皮肉に一矢報いている、というのは言い過ぎだろうか。
最もわかりやすく、最も有名なのはアランの「幸福論」だろう。アランは1868年、フランス生まれの高校の哲学教師。『幸福論』(白井健三郎訳、集英社文庫)は、93の実践的な断章から成っている。
アランの考え方は、逆説的。「成功したから満足しているのではない。満足していたからこそ成功したのだ」。同じように、「もし喜びをさがしにいくなら、まずなにより喜びを蓄えることだ」と述べている。小さなことに喜んでいると、もっと大きな喜びがやってくる。満足していることが大事なのだ。