◆経営にも生きる応援団の教え
──僕はそこまでモテた経験がないので、銀座のおねえさんに言い寄られたら自慢しちゃいますけどね(笑)。応援団は、どんなときに活躍して女子大にファンクラブができるほど注目されたのでしょうか?
岩井:野球、サッカー、アメリカンフットボールといった大学運動部の試合の応援ですね。ただね、応援団って学ラン着た集団だけじゃないんですよ。
──どういうことですか?
岩井:僕が所属していたのがリーダー部。他にもチアリーダー部、吹奏楽部があります。この三部がまとまったものを応援団と言うんです。また、この三部の毛色が全然違うから面白いんですよ。リーダー部はバンカラ集団でしょ、チアリーダー部は目立つのが好きな女の子が集まる、吹奏楽部は音楽マニアといった側面が強い。最終的に僕は団長になり、この三部をまとめていかなくてはならない立場となった。個性豊かな集団を統率していくことは勉強になりましたねぇ。
──その経験が社長として活きていることも多いんですか?
岩井:それはもう! 会社経営の基盤となっています。僕が社長を務めるモノリスジャパンは学校・学習塾など教育業界に特化した広告代理店です。社員には、営業マン、デザイナー、コピーライターがいます。デザイナー、コピーライターってクリエティブな人種ですよね。本来、組織になじまないタイプなんです。そんなクリエティブなタイプの人たちを組織になじませるということに、団長の経験が役立ってます。
──岩井社長の今に至る全てが同志社での青春時代に詰まっている感じがしました。
岩井:確かに……。応援団以外にも普通の大学生が出来ないことをしました。
僕、全ての風俗業で働いた経験があるんですよ。ピンクサロンの呼び込み、ストリップの布団敷き、ソープランドのボイラー炊き。祇園のクラブの黒服も6年間やっていました、あのときに学んだことも大きいですね。
──失礼なことを聞きますが、反社会的な世界からの誘惑もあったのでは?
岩井:正直、3分の2くらい足を突っ込んでいた時期もありました。親分からも「これからの時代はインテリや! 幹部になれるから、俺のもとで修行せい!」と見込まれた。当時の正直な気持ちを言えば、あまりに魅力的な条件だったので惹かれたのは事実です。けれど最後に「お母ちゃん泣くなぁ……」と思った。うちのお袋は正しいことが好きな人で、僕のことを常に心配していたんです。それで踏みとどまって就職したんです。
それがなかったら、反社会的とまではいかなくとも、水商売の世界にいったでしょうね。だって、向いてるんですもん!
──教育よりも向いている(笑)、と
岩井:そうですね(笑)今でも自分がカワイイと思う子を集めて、最高の店を作る自信があります!
【岩井社長に一時間に渡って話を伺った。バンカラを地でいく同志社時代のエピソードに驚愕。それと同時に濃厚な日々が羨ましくもなった。岩井社長が涙と汗を流していたのと同い年だった頃、僕は何をしていたのだろうか……(たぶん曖昧模糊としていた)。酸いも甘いも、良きにせよ悪しきにせよ、混じりっけなしの青春がそこにあった。あまり語られることがなかった『¥マネーの虎』以前の話。しかし、“虎”はいつ何時も“虎”、岩井社長の礎となる京都時代の秘話は金言に満ち満ちていた。】
●いわい・よしあき/1960年名古屋市生まれ。東海高校から同志社大学文学部へ進学、大学では応援団第74代団長をつとめた。1984年株式会社リクルート入社、トップ営業マンとなる。1989年小中学生のための学習塾「大志塾」を設立。1993年に法人化し株式会社モノリスを設立。現在は株式会社モノリスジャパン代表取締役社長。『マネーの虎』(日本テレビ系)に虎として出演、人情味あふれる「教育の虎」は今もネットで人気を集めている。
●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで週一回開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。テレビっ子として育ち、ネットテレビっ子に成長した。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)