当然と言えば当然だ。年末年始のように年賀状を書いたり大掃除をしたわけでもないし、カレンダーを掛け替えたわけでも手帳を新しくしたわけでも、新年度や新学期が始まったわけでもない。自分自身の環境も置かれている状況も変化していないのだ。きっと皇居に参拝に行ったり、改元イベントに参加したり、元号が変わることで影響を受ける仕事に携わっていたりすれば、新しい時代の到来を実感できたのだろう。そう考えると、時代が変わるという感覚や感情が湧きおこる出来事や瞬間は人それぞれなんだと思い知らされる。
ところが、ネガティブなインパクトバイアスは強かったのか、令和になったことで、突然自分が古くさい人間になった感じがしてきた。元号と西暦を変換するのがますます面倒になったというぐらいで、自分の歳や生まれた時代の古さを感じることはないだろうと思っていたら、違っていることに驚いた。一気に歳を取った気がしてきたのだ。
ここが、バブル時代を知っている昭和生まれの辛いところだ。元号が令和に変わったことで、昭和は前ではなくて、前の前の時代。平成という時代を跨いでしまった。「令和から見た昭和」は、「昭和から見た明治」のような時代性と印象になっていくのかもと思うと、俄然、「歳を取った…」という感覚が強くなったのである。時代を跨ぐことによるこの感覚は、 “時代感ギャップ”とでも言えばいいのだろうか。複雑な気分だ。
連休が終わり、あちこちで令和の元号が使われ、耳にすることが多くなれば、新しい時代になったことを実感するだろう。でも、誕生日だけは元号ではなく西暦で書こうと思う。