お国柄といったこととは関係なくメキシコは日本よりも笑いというジャンルが未成熟に映る。ツッコミとボケという志向がないため会話は基本ボケ倒しだ。誰しもが共有する「笑いの概念」もないのだろう。参加者のエルも「笑いは人それぞれだろ」と語っていた。世界的に見ればエルの意見が真っ当だと思う。しかし、日本版だけはその理屈が許されない。なんたって『ドキュメンタル』のゲームマスターは松本人志である。
30代中盤から40代のお笑い好きで『遺書』(1994年、松本によって上梓された現代笑いの聖典ともいえる本)を読んでいない人はいない。それこそ、『遺書』に書かれた「笑いと悲しみは表裏一体」「未分化な感情にこそ笑いは潜む」といったテーゼに心酔したのが『ドキュメンタル』に参加している芸人。彼らは松本を心から尊敬している。笑ったペナルティとして松本からカードが渡される際も「すいません」もしくは「ありがとうございます」と頭を下げる。メキシコ版の松本役デルベスは、松本のように崇められるようなリスペクトの対象ではない。
シーズン1~7までに出演した芸人は総勢47人。そのうち、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属は37人である。吉本の芸能人育成機関「NSC」出身も多い。それぞれ違ったスタイルを持つが、共通している部分は当然ある。元来『ドキュメンタル』といった番組自体、吉本が所有する劇場の楽屋遊びの延長上にあるものだ。
こういった笑いの共鳴がないないため、メキシコ版は日本版のように一同が笑うといった展開がない。ふとしたことが自身のツボに入り、笑ってしまう自爆が多い。ただ、笑うといっても微笑レベルで。自身が笑っていることにも気づかない。メキシコ版の松本役デルベスに指摘されて、それを知る。口元が緩む程度、他の参加者も誰が笑ったのかを感知できていない。よって、毎度「今回、笑ったのは……お前だ!」といったやりとりが繰り返される。日本版よりもガチ感が強いので笑う回数も少ない。エピソード3(34分)に至っては誰も笑わない膠着状態で終了した。
「たぶん」で申し訳ないが、メキシコは日本と比較して芸人の社会的地位がそれほど高くない(年間で約500人がNSCに入学する日本が異常なんだけど……)。芸人の人数、生存サバイバルの激しさ、年収も違う。そういったことを加味すれば、日本版の方が面白くなって当たり前なんだ。
しかし、『LOL:Last One Laughing』を観ているうちにメキシコの良さに気づく。理屈を考える前の、素朴な笑い。子供のような笑いとでもいえるだろうか。当初、うるさかった「カカ!」のマネもしたくなる。禁じられているから誰も笑わないが、日常では「ウンコ!」と叫べば微笑んでくれる国。だから、メキシコ芸人はあれほど「カカ!」と連呼する。
世界的に見て、「たぶん」日本は笑いに厳しすぎる。松本は自らの“笑える/笑えない”の指標を日本人に浸透させた。松本の笑いが解せないという人もいる。しかし、彼の存在によって日本人の“お笑いI.Q”(松本の造語)がちょっと向上したことは間違いない。この功績は偉大だ。
光あれば影もあり、強すぎる影響力ゆえに一般人レベルにまで「スベる」といった概念が浸透。これはカリスマゆえの罪、そもそも一般人が面白くある必要はない。
メキシコ版『ドキュメンタル』を観て、想ったことは松本の功罪。「カカ!」
●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで週一回開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。テレビっ子として育ち、ネットテレビっ子に成長した。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)