6月23日は出走馬がファン投票で選ばれるグランプリ宝塚記念。盛り上がりぶりは暮れの有馬記念には遠く及ばないが、近年はその先に大きな目標を見すえるようになった。競馬歴40年のライター・東田和美氏が考察する。
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宝塚記念の2200mという距離は、春の古馬チャンピオンを決めるという意味で、天皇賞(春)を使った馬でも安田記念を使った馬でも対応できるよう、3200mと1600mの間をとったといわれている。その通り、平成前半の15年までは、両レースの参戦馬が13勝。2着馬も同様のローテーションが多く、両方のレースを使っている馬もいる(しかも1992年のカミノクレッセはどちらも2着!)。それだけ古馬GⅠ級のレースが少なかったということだ。
平成後半も天皇賞(春)の参戦馬が7勝しているが、GⅡ金鯱賞組も3勝、GⅠに昇格した大阪杯や香港など多彩になってきた。2着馬、3着馬も新設GⅠのヴィクトリアマイルやUAE(ドバイ)経由が見られるようになった。
日本調教馬が初めて海外GⅠを勝ったのが平成10(1998)年。以後、平成の間に40勝近くをあげ、海外で初GⅠというケースも珍しくなくなった。有力オープン馬にとって、いまや香港やドバイのGⅠは通常の選択肢に含まれる。それぞれ毎年10頭以上が遠征、今年も3月のドバイターフをアーモンドアイが、4月の香港クイーンエリザベスⅡ世カップをウインブライトが勝っている。馬券も売られるようになり、ファンにもすっかり定着した。
しかし、香港やドバイに遠征してくる欧米の一流馬は決して多くない。世界を目指すホースマンにとっては、アメリカのブリーダーズカップ、そしてフランスの凱旋門賞が究極の目標なのだという。
凱旋門賞は1920年に始まった世界最高峰のレースのひとつ。毎年10月の第1日曜日に行なわれる。今年の1着賞金は285万7000ユーロというから4億円近く。日本からはこれまでのべ23頭が挑戦したが、エルコンドルパサー、ナカヤマフェスタ、オルフェーヴルが2着になったのが最高。とくにオルフェーヴルは2年連続して2着と、あと1歩のところまで迫った。夢物語だった凱旋門賞制覇が現実味を帯びてきたことは確かだ。
平成後半の宝塚記念出走馬のその後のレースを見てみると、勝ち馬5頭を含む6頭が凱旋門賞に挑戦する道を選んでいる。それまでの活躍から凱旋門賞挑戦を公言、宝塚記念をステップレースとして使って渡欧、現地で調整してから前哨戦、あるいはいきなり本番に挑むというローテーションだ。2016年のドゥラメンテは故障、2017年のキタサンブラックは9着に敗れたために、ともに凱旋門賞挑戦を断念している。今年はキセキが宝塚記念の結果を見て出否を決めるという。
平成前半の宝塚記念は1番人気が7勝2着5回と堅実だったが、後半は4勝2着4回、2番人気、3番人気も2勝ずつとやや微妙。もともとグランプリでありながら目標にするレースではなく、春を使ってなお余力のある馬が出走してくるので、前走までの成績がオッズに反映することが多い。ここ30年のうち1番人気が2倍を切ったのが12回もあるが、それでいて勝ったのは4頭だけだった。激戦が続いて調子のピークをすぎていたり(「見えない疲れ」)、他の有力馬が回避して人気が集中したりしていてことに加えて。近走不振だったGⅠ常連馬が(「使いつつよくなって」)ようやく復調して出てくることもある季節だ。