現代洋食における魚介のフライの起源は江戸前の天ぷらだという説がある。いまも続く上野御徒町の老舗「ぽん多本家」の店主はWebコンテンツのインタビューに答えて、創業期を次のように振り返っている。
「当時はまだ品書きに値段も書かれていない鮨屋のような商売だったそうです」、「「江戸前」の魚を揚げた天ぷらの影響は大きいと思います。柱のフライは小柱の洋風かき揚げのようなものですし、創業当時はそれこそメゴチのような江戸前天ぷらを代表するような魚もフライで出していたようです」、(CLUB MITSUBISHI ELECTRIC「日本人の食卓」より)。
情報の流通は飽和し、社会はフラット化する。そこで進化した「食」はいずれ庶民のもとへと降りてくる。江戸の屋台で庶民を楽しませた天ぷらは、明治のひととき富裕層向けのフライへと進化し、それは後に大衆洋食へと噛みくだかれた。ハレのごちそうだった鮨も回転寿司という新たな形態を手に入れ、誰もが日常で楽しめるものになった。
「江戸前鮨」という言葉には「江戸前の仕事を施した」という意味も込められている。キャビアや削ったトリュフが崩れそうなほどに高く盛られたにぎりは、鮨が次のステージに行くための扉か、進化の過程における時代の徒花か。
と思ったら、去年スシローが新業態の「杉玉」で「キャビア寿司」なるメニューを299円でメニュー化させていた。高きもよし、安きもよし。そして高きも安きも、考えることはだいたい同じだった。