それは、高虎が軍事力と普請技術を持つ家臣団を養い、それを支える財政基盤や農民支配を安定させた藩を事実上他に先駆けて誕生させた力量を評価した点と無縁ではない。藩の成立には多士済々の家臣が必要となる。家の子郎党だけでなく有能な「渡り奉公人」、僧侶や農民など色々な階層から人材を発掘した藩の成功例こそ高虎と津藩であった。
廃藩置県と呼ばれるように、現代の都道府県も藩の伝統の延長にある。著者は、城下町建設による藩の誕生は、現在の「地方消滅」の危機への対応策たるコンパクトシティを考える上で、歴史的前提になるのではないかと、大きなスケールで歴史認識を試みている。確かに、慶長から寛永年間に誕生した町と藩こそ、数千人から数万人の人口を擁するコンパクトシティだったという見方には、おおいに啓発される。
※週刊ポスト2019年10月4日号