〈バログが妻を亡くしたのは、七月の初めのことだった〉と始まる第I章には、一九四四年十二月十六日とだけ章題が付され、この日、彼が出発時点で25輌、最終的には50輌にも及んだ列車の行程を入念に確認し、乗客全員を無事乗せるべく心を砕く出発当日の様子が描かれる。そしてアパートの物干し場から転落死を遂げた妻〈カタリン〉も、ナチスの傀儡政権下で財産も家族も失い死を選んだユダヤ系の友人〈ヴァイスラー〉もいない町の空虚な景色など、個人的思念と現在進行形の業務とが斑に語られてゆく。
列車にはトルディ以下、没収品の管理や警備を担う担当者とその家族が同乗し、これに戦火を逃れた難民や鉱夫や浮浪児までが途中で加わった。彼らの食糧や酒、機関車や燃料を調達するのもバログの仕事。だが、問題はトルディだ。没収品の中でも特に金塊や宝石に興味津々の大佐は怪しげな行動を繰り返しつつ、バログに上司の動静を逐次報告するよう、内通を命じたのだ。
が、彼は上司に即刻報告し、任務そのものに〈道義的〉な違和感を抱くアヴァルや、〈後で何らかの申し開きが必要になるだろう〉と先を読むミンゴヴィッツの下、着服の阻止に最善を尽くす。
「現存するミンゴヴィッツの調書がまた面白いんです。押収品の目録をトルディの妨害でずっと作れなかった彼は、金塊類を賄賂に使った時も必ず相手にサインを書かせ、書式が間違っていれば出し直させるんです。
もちろん、自分たちは国の財産を守ったまでで、ユダヤ迫害とは無関係だと証明するためでもあったと思う。ただ、良い悪いではなく、役所の仕事とはこういうものです。何かあった時にも非常に機械的な反応をしてしまうところは、私の考える人間のあり方に最も近い。書類に残して上長に報告するという、平時のやり方が、たまたま財産の保護にとっては良い方に出ただけのことです。ユダヤ人の親友を失っているバログにとっては、この仕事の馬鹿馬鹿しさは笑い事ではなかっただろうと思います」