◆人間であることは「軽いこと」だった
作中には〈人間には三種類ある。馬鹿と、悪党と、馬鹿な悪党だ〉というミンゴヴィッツの台詞があるが、バログ自身、ある名家由来の銀製の燭台を持ち出せば礼は弾むという旧知のヤミ屋〈リゴー〉の話には心が揺れ、ここには100%の悪人も善人も登場しない。
「例えば当時ナチスがやったことの責任を問う場合、まず槍玉に上がるのが政治家ですよね。でもヒトラーたちが何をどう叫ぼうと、役所が動かなければ何も動かないのが国家です。
元々ハンガリーの場合は富裕層の多いユダヤ系住民から財産だけを奪い、生活上は共存していた。それが、ナチスに実権を握られてからは収容が進み、アウシュビッツ内で最多の犠牲者はハンガリー出身のユダヤ人です。ただその裏には出頭伝票を粛々と作成した役人がいたわけです。国家を語る時には政治家だけでなく各機関の働きも考察すべしという当然の認識を、今はあまりに欠いています」
内にも外にも敵が潜む中、列車は紆余曲折ありつつも最終地ホプフガルテンへ。その間も亡き妻や友のことを折に触れて思うバログだったが、中でも全てを失ったヴァイスラーの〈奇妙な軽さ〉という言葉が怖い。彼は言った。〈あんな戦争の後では、人間はもう人間じゃない〉〈もう何も感じない。ある意味、自由だな〉と。
「私自身が彼と同じ状況に置かれた時のことを想像してみたんです。そうすると人間であることはこんなに軽いことだったのか、と。実際当時の資料を読むと、とんでもない重さと呆れるような軽さが同居しています。私はその誰も状況を俯瞰しえない地点に自分を置き、善悪でなく、誰が何をしたかを書いただけです」