「駅伝の監督という仕事が、自分をよみがえらせてくれました。サラリーマン時代は事務系平成元年同期の中でも出世街道の最下位で、ドベ2から1ランクも2ランクも下を走っていました。合コンには頻繁に参加するわ、酒飲みだわ、ギャンブルはするわで、ろくでもない男でしたからね(苦笑)。私の道徳観を作ってくれたのはこの監督業です。
サラリーマン経験から一生懸命やっても報われないという現実を知っていることは強みでしょうね。努力をしたからって全員がレギュラーになれるとは限らないし、快走できるとも限らない。それは学生にも伝えています。ただし努力をしなかったらゼロだからね、報われる可能性すらないよ、とも伝えています」
現在は週2日、相模原キャンパスで授業を持つ。教授となったことでより駅伝に集中する環境が整ったという。
「教授室には電話が引かれていて秘書さんもついてくれるので、窓口としてメディア対応などもお任せできる。今までは駅伝もプライベートも仕事もすべて町田寮でごちゃ混ぜになっていました。ぼくの道徳観を作ってくれたもうひとつの偉大な存在であるかみさん(町田寮で寮母を務める妻・美穂さん)は、それはもう本当に大変だったんですよ。最近は『生活にメリハリが出てきた』と喜んでいます。監督に就任した頃はあまり乗り気ではなかった彼女が、寮母として駅伝にどっぷりのめり込んでいる。今では青学駅伝部の外せない一部分になっています」
◆「感覚」から「データ」へ “原メソッド”の確立を目指す
そんな妻の熱意とともに、自身は新しい挑戦に興味が湧いてきたと語る。
「教授という立場をいただいたことで勉強意欲が湧いて、駅伝競技を科学でいかに捉えるかという学問領域を究めていきたいと考えています。例えばスポーツと睡眠の関係としてどの程度の睡眠が必要で、どんなマットレスを使えば睡眠の質がよくなるのか、そういったことを細分化して感覚ではなくデータで整理していく。独自でメソッドを体系化して、それを陸上界へ広めていくような仕事をしたいんです」
教え子に対する意識も変わった。
「指導したアスリートが競技者として活躍するのは監督冥利に尽きます。でも全員がオリンピック選手になれるわけではありません。ならばトップチームで培ったノウハウを陸上界で生かしてほしい。陸上競技の現場レベルではなく、広い視野を持って世界陸連やオリンピックなど、世界を舞台に選手のマネジメントができる知識を彼らには身につけてほしいと思います。ただ“箱根頑張った、万歳!”で終わるのではなくてね。私はそのための構造を整えて指導に励みたい」
今年も箱根は終わった。だが原監督はその戦いに挑む前から、箱根の山を越え、そのはるか先の高みに想いを馳せていた。
【プロフィール】
原晋/はら・すすむ。1967年3月8日生まれ。広島県三原市出身。中京大学卒業後、中国電力に入社し、陸上競技部の創設に参加する。1993年には主将として全日本実業団駅伝に出場するなど活躍したが、27才で引退。サラリーマン生活を経た後、2004年に青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督に就任。2015年の箱根駅伝で同校史上初の総合優勝にチームを導いた。
撮影/平林直己
※女性セブン2020年1月16・23日号