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2020.01.11 16:00  週刊ポスト

大阪が「在日の首都」と呼ばれた歴史的ルーツ

鶴橋のコリアンタウン(時事通信フォト)

 その多くは低賃金、長時間労働に苦しめられ、梁石日の小説『血と骨』さながらの壮絶な生き様を余儀なくされた。終戦後の混乱期には、猪飼野のそばの鶴橋に闇市が形成され、朝鮮人たちが次々に軒を構えるようになる。これが現在、国内外の観光客が集う鶴橋のコリアンタウンや国際市場のルーツとされる。

 この鶴橋の闇市の「ドン」と呼ばれたのが、李煕健である。1930年代に慶尚北道から大阪へ渡った李は、鶴橋の闇市で自転車チューブの行商を始めて蓄財し、夜は子分を引き連れて賭博場を開き、市場の顔役へとのし上がった。そして38歳で大阪興銀(のちの関西興銀)の設立に関わる。

「終戦後も大阪にとどまった在日コリアンたちは、日本の労働市場から排除され、焼肉やパチンコなど在日しかできないニッチなビジネスへと活路を求める人が多かった。その際にネックになったのは金融機関からの融資です。在日に対する偏見や差別から金融機関は法外な担保や日本人の連帯保証人を求めることが常態化していた。この金融機関の設立がそうした在日たちを救い、在日企業の育成に大きな役割を果たした」(朴教授)

 在日が大阪に多く暮らす理由として、「気質が合う」という点も見逃せない。朴教授はこう分析する。

「東京はかつて武士が人口の5割も占め、建て前を重んじる武家社会の影響がいまも色濃く残っています。一方、大阪はもともと商人や職人の街。『オレとつきあうか、つきあわへんか、はっきりせい!』という直球の性格が在日コリアンに合ったのでしょう」(文中一部敬称略)

◆構成/竹中明洋(ジャーナリスト)

※週刊ポスト2020年1月17・24日号

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