また生前の大林監督と交流があり、尾道で唯一の映画館・シネマ尾道の支配人を務める河本清順氏は、「三部作のころから尾道の街並みが変わらずに残っていることや、街の名前が世界的に知られるようになったのは大林監督のおかげです。地元にとって本当に大きな存在でした」と巨匠との別れを惜しんだ。河本氏が語る。
「尾道に来られる多くの映画人や観光客の方が、大林監督の作品を見て『憧れの街だった』と言ってくださいますし、地域のみなさんもそれを誇りに思って生活しています。『映画を通じて街を守っていく』という大林監督の地元への愛情は強く、私がシネマ尾道を立ち上げるときも叱咤激励の言葉や、さまざまなご支援をいただきました」
シネマ尾道を開館する前、大林監督から「銀幕には人の心の機微がくっきりと現れる。作り手にとっても、ストレートで繊細な表現ができるんだよ」とアドバイスを受け、あえて主流のホワイトスクリーンではなく銀幕を選んだという河本氏。“尾道三部作”のなかでも、『さびしんぼう』が自身のフェイバリット・ムービーだと明かした。
「大林監督は、『さびしんぼう』について『尾道のシワを撮った』と表現していました。その言葉通り、細部に至るまで尾道という街の情感を捉えて、少年少女たちが成長していくころの心の機微を丹念に描いています。実際に住んでいる人間から見ても、『こういう見方ができるんだ』と街の魅力を再発見させられる作品でした」(河本氏)
◆晩年は「アバンギャルド全開の反戦映画」に没頭
大林監督は“終生アマチュア”を自称し、既存の映画表現にとらわれない創作活動を続けた。一方で福永武彦の同名小説を原作に福岡県柳川市で撮影した『廃市』(1984年)では「派手な視覚効果を封印し、情緒たっぷりの文芸映画に仕上げた」(小野寺氏)ように、決して前衛一辺倒ではなく、端正な作品を生み出す技量も兼ね備えていたことは間違いない。
絶えず変化と進化を続けた結果、巨匠として評価されるようになった晩年に至って、自主映画時代に回帰したかのように先鋭的な映像を追求していく。2011年の東日本大震災以降に制作された『この空の花 長岡花火物語』(2012年)、『野のなななのか』(2014年)、『花筐/HANAGATAMI』(2017年)について、小野寺氏は「アバンギャルドな部分のリミッターを解除した」と表現する。
「いずれも奇抜なスタイルで戦争の惨禍を描いた映画で、監督はこれらを『シネマゲルニカ』と呼んでいます。ピカソがスペイン内戦の被害をキュビズムの手法で絵画にしたように、真にアバンギャルドな表現で戦争を語ろうという試みだったようです。興味深いのは、それでいてアイドル映画や文芸映画のテイストが色濃く残っているところ。あらゆる要素がすさまじく濃厚で、ギリギリのところで危ういバランスを保っており、大林監督しか撮れない唯一無二の作品群だと言えるでしょう」(小野寺氏)